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婚約会見で雅子さまは、記者からプロポーズの返事について聞かれ、次のように述べました

…殿下にお幸せになっていただけるように、そして私自身も自分でいい人生だったと振り返れるような人生にできるように努力したいと思いますので、至らないところも多いと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします、と(申しました)。…

「振り返れる」という言葉は「振り返られる」と言うべきだと、批判派は指摘しています

ら抜き言葉について少し述べたいと思います
参考にしたのは、http://www.umechando.com/view/08.htmhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B9%B1%E3%82%8Cです
ら抜き言葉というのは、「見る」や「食べる」「来る」の可能表現として「見れる」「食べれる」「来れる」と表現されるものを言います
これは第二次世界大戦後に急速に広まったのだそうです
ら抜き言葉は、標準語圏において口語として若年層を中心に用いられる一方、それ以外の一部の地域では正当な活用形として使われており、「れる」と「られる」を区別した動詞化が一般的となっているところもあるようで、「ら」が抜けたから一概に謝っているというわけではないとのことです
言語学的には、「ら抜き言葉」の語形は従来から五段動詞に適用されてきた可能動詞化の法則を一段動詞にも適用したものだと解釈でき、この変化の背景には可能表現と受け身表現の形態上の区別がつくようになるという効果があったという説が広く受け入れられているそうです
そういう解釈からすると、「ら抜き言葉」は、むしろ日本語をより合理的な言語体系へと発展させるべく寄与する「機能分化」であるとする考え方もあるそうです
少し難しいので、わかりやすく例を挙げたいと思います
「食べる」の場合、「食べられる」と言うと、目上の人が「食べる」という意味の敬語にも受け取ることができるし、「食べることが可能だ」という意味にも受け取ることができます
それを避けるために食べることが可能な場合、「食べられる」ではなく「食べれる」と表現することがあるということ…
それからもうひとつは、言葉というものは時代の流れによって変化していくもので、この「ら抜き言葉」もそうした変化のひとつである、ということです
今私たちが使っている話し言葉も書き言葉も平安時代や江戸時代に使っていた言葉とはずいぶんと違います
現代の言葉と平安時代の言葉を比べると違うところがたくさんあって、古典の授業などで苦労することが多いわけですが、長い時間をかけて言葉が徐々に変化して来た、ということだと思います
今は失礼な言い方とされる「貴様」や「お前」もかつては目上の人に使われていたらしいし、言葉の変化ってめまぐるしいものがあるようです
今私たちが普通に使っている言葉も、かつては「日本語の乱れだ」と批判されていた言葉なのかも知れません
それに、例えば「行く」は文法的には「行かれる」が正しいとされますが、実際には「行ける」で通っていますよね
「言える」や「読める」もそうです
ら抜きをしてもよいものとしたらいけないものとの定義ってとてもあいまいなようです
「食べれる」「見れる」などは「ら」が抜け落ちたように聞こえるので「ら抜き言葉だ!」と批難を受けますが、「行ける」や「言える」「読める」も実際にはらが抜けているわけで、そのへんを突っ込んでいくと、ら抜き言葉は時間の問題で受け入れられていくのではないかとも思います

さて、話を戻します
「振り返れる」という言葉が適切であったかどうか、ですが、ら抜き言葉にはいろいろな意見がありますが、「振り返れる」という言葉の響きは、私にとってはあまりいい表現ではないように感じられます
言葉の変化は自然に生じるものとは言え、何でもかんでも略して表現したりすることが私はあまり好きではなくて、ふだんからそういうところに気をつけているほうなので、努めて使わないようにしています
ただ、「食べられる」というと、なんていうか、まどろっこしいというか、「丁寧にしゃべってます」というかんじはします
なので、「食べれる」って言ってますね…
敬語と区別するときには、ら抜きをせずに「…ことができる」と言ったり…でもこれも響きがしつこくなりすぎるのはどうかと思っています
「これって食べることができるの?」はちょっとしつこいので使わないけど、「もし行くことができるなら…」くらいはしつこくないかなあと思います
これは私の勝手な感じ方ですけれどね
雅子さまの「振り返れる」は、「振り返られる」が最も適切に響くし、「振り返ることができる」と言い換えてもよかったと思います
婚約か意見というかしこまった場ですから、少々まどろっこしい言い方になったとしても違和感はなかったと思います
ら抜き言葉が容認されるべきかどうかは置いておいて、「振り返れる」という言葉の響きに違和感を感じる人たちはまだまだ多いと思いますし、ましてや日本の古い伝統やしきたりを継承していっている皇室に入るわけですから、ら抜き言葉は避けるべきであったと思います
その後皇室に入った雅子さまがら抜き言葉を使っているかどうか、ちゃんと見ていないのでわからないのですが、批判派の「事件リスト」にはないみたいなので(笑)、皇室に入ってからは気をつけているのではないでしょうか
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皇室について。 | コメント(0) | トラックバック(0)
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