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筆者は浩宮さまの学習院高等科のときの担任ですが、東宮御所での浩宮さまのようすについての記述も少しありました
それを少し紹介したいと思います

浩宮さまの中等科時代の数学の家庭教師によると、冬の東宮御所で勉強中、暖房が効きすぎていたので、「窓を少し開けたほうがいいね」と言うと浩宮さまは窓を全開にし、しばらくして「もう少し閉めて」と言うとぴたっと閉めてしまうということがあったのだそうです
その家庭教師によると「浩宮は窓をちょうどよく開けたり閉めたりするってことができないんだ。自分で窓を開けたり閉めたりする習慣が、小さいときからなかったんだろうね」ということなのだそうです
きちんと決められたことはできるが、極めて日常的な、小さいときから我々が日々の生活の中で自然に身につけるもの、生活の知恵とも言えないようなささいなことに疎い点があったのだとか…
東宮御所での多くの側仕えの人々に付き添われた生活では、そこまでカバーできなかったのではないかと筆者は語っています
このエピソードは、雅子さま批判をしているサイトでも取り上げられ、皇太子さまの奇怪な行動として紹介しています
事実なのでしょうけれど、私が今紹介しているこの本のほんの一部分だけを取り上げるのは公平さに欠けると思います
そういう意味からも批判派の批判のやり方には疑問を感じますが、まあここではその話は置いておきましょう

単純にこのようなエピソードを聞くと、やはり皇室での生活・皇族の生活というのは一般市民のものとはだいぶかけ離れているのだなあと思います
窓を自分で開けることもしない生活っていったいどんなかんじなんでしょうか
想像するに、常におつきの人がまわりに仕えているっていうことですよね
自分でもできるほんの些細なことでも、おつきの人がさささっと動いてやっているんだと思います
皇族なのだから…将来天皇になる立場なのだからこれでいいのだ…と言われてしまうかも知れませんが、それなら一般市民も送っている学校生活では戸惑うことが多かったんじゃないでしょうか
学校に通うためにあえて身につけなければならないことも多かったのかも知れません
私としては…基本的な生活習慣を身につけるためには、おつきのものがどんどんやってしまうよりも、しつけとしてやらせたり教えたりするべきだと思います
具体的にどこからどこまで自分でやるのか、どこからはおつきのものがやるべきなのか…ということはわからないのですが、このエピソードを読むと、必要以上にまわりに仕えている人が多くいて、必要以上に手を出しているようなそんな印象を持ってしまいます
筆者は浩宮さまのことを「日常性のない生活者」と表現しました
浩宮さまの日常をみていて、そこには私たちがふつう言うところの日常性は、やはり稀薄であったのだそうです
幼い頃からずっと、そして恐らく生涯、常に四囲から保護監視の視線を注がれている環境とは一体どんなものなのか…想像がつきませんが、想像がつかないほどたいへんなものなのだなあと思います
生まれた頃からこういう生活をすることもたいへんだけど、こういう世界に途中から足を踏み入れた皇后さまや雅子さま、紀子さまの戸惑いは相当なものだったんだろうなと思いました

浩宮さまの高校卒業時、当時の侍従長が「宮様もたいへんですよ。御所ではわれわれのような年輩者に取り囲まれているんだから。若年寄じみても無理はないですな。もっと自由な、息抜きができるような時間と場所が必要なんですよ。高等科生活は、そういう意味でも貴重な時間だったのですよ」と述べたのだそうです
浩宮さまは高校時代「ジイ」というあだ名がついていたそうで、行動そのものが年配者じみていたのかも知れません
浩宮さまの場合学校が終わった後友だちと遊ぶということもなかなか難しかったのだと思います
以前、小学生の頃、クラスの友だちを順番に東宮御所に招待したとかいうことを聞きましたが、そういうやり方でないと友だちと遊ぶことはできなかったんだと思います
ふだんは学校が終わって家に帰って、侍従などが遊びの相手をしていたんだと思います
子どもは環境によって育ちますから、大人に囲まれて育った浩宮さまは、知らず知らずのうちに年配の人たちがするような行動や言動をしていたのかもしれません
侍従長が「高等科生活は自由で息抜きができる場所だった」と述べたのに対し、筆者は疑問を感じているようでした
私もそれに同感で、もちろんそういう面もあったとは思いますが、それよりも「自分が他の生徒とは決定的に違うことを知らしめられた場所だった」ような気がしてなりません
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