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臓器移植と脳死

2009/06/22 Mon 05:50

先日衆議院を臓器移植法改正案が通過しました
今までの人の死は原則心臓死というのが変わり、脳死が人の死であるという案です
そして臓器移植の年齢制限がなくなります
この問題は一言でこちらがいいとか悪いとかでは片付けられない難しい問題だと思います

もし私の子どもが臓器移植をしなければ生きられないと言われたら、臓器移植をする道を探すでしょう
海外に行ってでも、どんなにお金がかかっても、なんとかしようとすると思います
そういう状況のときに、国内でも子どもからの移植が可能となるこの案の可決をうれしく思うでしょう

けれど、もし自分の子どもが事故などにあって、脳死状態だと言われたら、体もあたたかく心臓も動いているのに、この子が法律では死んでいると認めることができるだろうかと考えると、とてもできない気がします
そういう状態で、子どもから臓器を取り出すための手術などをさせるなどできないと思います

私が思うに、「脳死」という状態を作り出してしまった医学の進歩が最大の問題なのではないでしょうか
昔も心臓は動いているけれど、脳が死んでいる状態というのはあったはずですが、脳が死んだらそのあと間もなく心臓も停止し、脳も心臓にも死が訪れていました
脳死という状態は継続するものではなく、死の兆候のようなものだったのだと思います
それが、人工呼吸器などで脳死という状態が長いこと保てるようになり、脳は死んでいても他の体の部分は元気に動いている状態が生まれ、そういう状態だからこそ可能になる臓器移植という可能性が広がったように思います
脳死という状態が生まれ、臓器移植が可能になったと言われたら、臓器移植をしなければ生きられない子どもを持つ親は臓器移植を考えるのは当たり前だと思います
人間の尊厳だとか臓器移植の是非だとか脳死の判定だとか、そういうことをさまざまに考えてが故ではなく、子どもを助けたいという親の純粋な気持ちから生まれる思いです
自分がそういう立場なら間違いなく同じように思うでしょう

私は今回の改正法案の通過に「うーん」という思いがあるけれど、子どもを助けたいと思う親たちがこの法案通過をうれしく思うことを責めるつもりはありません
いくら倫理的にどうだとか言われても、子どもが助かるのならどんなことでもしようと思うのが親心だと思います
それをよく理解した上で、本当に脳死を人の死としてしまってもいいのだろうか、という気持ちにはなります

けれど、それを考えるには、もうすでに世の中には(特にアメリカなどの臓器移植先進国では)臓器移植が一般的になりすぎているように思います
どの国でも臓器移植を待つ人は多いし、それぞれの国がこの問題に関して国内でどうにかするように…というのはごく自然な流れだと思います
そういう中で日本国内で臓器移植が難しいというのは、臓器移植を望む人たちからしたら「どうして?」という思いになってしまうのでしょうね
具体的にどうするべきなのか、私にもわからないけれど、こういう一歩がまた新たな難しい問題や状態を生んでしまうような気もします
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