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著者は浩宮さまについて主に述べていますが、礼宮さま(秋篠宮さま)が高校2年のときに現代国語の授業を担当しました
そのときの礼宮さまの印象や、礼宮さまについても少し触れています
それについて少し述べてみたいと思います

浩宮さまが高校を卒業した3年後に礼宮さまが入学してきました
著者は兄と弟をストレートに比較するというのは、安易かつ便宜的に過ぎるきらいがあるけれど、浩宮さまと礼宮さまの場合は両者を比較して考えたいという誘惑に抗しがたい面があるのだと述べています
今の皇室においても、雅子さまと紀子さまを比較したり、皇太子さまと秋篠宮さまを比較したり…ということは多くなされているように思います
そういう比較自体はそれぞれをよく知るためのものであるのならば多少は構わないとは思いますが、度が過ぎているというのが現状ではないでしょうか
しかし、著者が言うように、比較したくなってしまうという思いはどうしても湧いてしまうものなのかもしれない…とも思ったりします

著者の礼宮さまの印象は浩宮さまのそれとは大きく異なっていたそうです
浩宮さまは目立たなく、おとなしく、落ち着いているという印象だったそうですが、礼宮さまはよく言えば少年らしい活気とも受け取られ、悪く解すれば落ち着きに欠けるという印象だったそうです
浩宮様の特徴を一語で表せば「静」であり、礼宮さまのそれは「動」だと筆者は述べています
礼宮さまは休み時間になるとよく廊下に出て他のクラスの友だちとも、大声で話し笑いあったりもしていたし、グラウンドで遊んでいる姿を見かけることもあったそうです
警備のことを気にしてか教室内で過ごすことが多かった浩宮さまと比べ、ごくふつうの高校生という感じがします
初等科・中等科のようすはわからないけれど、高等科では礼宮さまはかなり「自由」な存在だったそうです
このような違いは、ふたりの性格の違いによるものもあるでしょうが、皇太子となるか否かによって大きな違いが出ていたのではないかと筆者は指摘し、それには私も同感です
兄弟でありながら、ここまで違いが出ることに私は不幸を感じます
皇太子になる立場だからといろいろな責任や重圧を課される兄は、なぜ自分ばかりがこのように押さえつけられなければならないのだろうと悩むだろうし、弟はまわりが兄ばかりに構い、自分はなんだか放っておかれているようなそんな気持ちになってしまいそうだからです
ふつうの兄弟でも、親は平等に扱っているつもりでも、子どものほうはそう感じていなかったり…ということはよくありますが、皇室の場合はまわりが明らかに平等には扱っていなかったのでしょうし、そうだとすれば子どもはそれをより強く感じたのではないかと思います
皇位を継承していくためには仕方のないこととは言え、何とも言えないむなしさを感じてしまったりもします
私は今の皇太子さまと秋篠宮さまを見ていて、特に秋篠宮さまのほうが皇太子さまをあまりよく思っていないんじゃないかなあと発言などを通して感じたりはするのですが、こういった子どもの頃の扱いの違いが少なからず原因となっているのではないかと思います
実際のところはどうなのかわかりませんけれどね…

前にテレビで、子どものしつけについて、浩宮さまは将来天皇になるのだから、子どもの頃はのびのびと育て、礼宮さまは少し厳しく育てる…といったようなことを今の天皇皇后両陛下が述べていたのを聞いたことがあるのですが、この本での美智子さまの言葉とはちょっと違っていました
著者が父母面談で美智子さまと話したとき、美智子さまは「…それは、浩宮は長男ということで、私もいろいろ細かい点まで注意するようにしたため、のびのびしたところが多少不足するようになったのかもしれません。兄と比べて礼宮は次男ということで、逆にたづなをゆるめたようなところがあって、のびのびしすぎたようですけれど…」と述べたのだそうです
こういうふうに育てたいと思っていても、そのとおりにできるわけではないのでしょうけど、まったく正反対の育て方になったのだなあと感じました
結局のところ、両親がこう育てたいと思っても、将来皇太子となるか否かによって自然とまわりの接し方が決まってきてしまうのでしょうね

このような育て方の違いは、たとえば外観にも表れていると著者は述べています
礼宮さまはヒゲを生やし、ソフトスーツやネップチェーンなどを身につけ、これは皇族としては異質だったのだそうです
一方浩宮さまは、その年にしては古典的なファッションで、学生の頃からきっちり七三分けでしたよね
「ソフトスーツ」や「ネップチェーン」が一体どういうものなのか私にはわからないのだけど、少し流行じみたファッションだったのだと想像します

著者によれば、浩宮さまも礼宮さまも文章表現の上で、彼らの内心を微妙に屈折させてしまう要因が感じられるのだそうです
つまり、自分が本当に書きたいこと、本当に感じていることがそのまま文章に表れず、他の生徒との文章に多少の違いが生じたりした、ということらしいのですが、これはまさに育った環境から来るものだなと思いました
皇族の場合、発言には十分の注意を払う必要があると思います
自分が言ってないことでも言ったとして報道されてしまうことがあるくらいですから、実際に発言したことの影響はかなり大きいものだと思います
そういうことの自覚を小さい頃から言い聞かされて育ったが故に、子どもでも自分の思いをそのまま文章に表すということを無意識のうちに避けるようになったのかもしれません
こんなふうに考えていくと、皇族が皇族という立場を離れ、本当の自分でいられることが果たしてあるのだろうか…という疑問が湧いてきます
天皇は「公人」だと言いますが、「私人」になれることはあるのか、あるとしたらどれくらいあるのか、どんなときになれるのでしょうか
子どものうちからの教育が大切なことには同意しますが、子どもらしさや人間らしさが身につかないのだとすれば、それが果たして将来天皇になるに際して返ってマイナスになってしまうようなそんな気がしてしまいます
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