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私はあまり霊感が強くないのか、何か見えないものが見えたり、不思議なことが身の回りで起こったり、UFOを見たこともないし、風水や日の善し悪し、星占いから動物占いまでいわゆる迷信的なことを自分の行動を左右するほど気にすることはないので、カミガカリなことには無縁なのですが、この本の著者のお二人はそれぞれそういう経験があるのだそうです

竹田恒泰さんのカミガカリな経験をご紹介しましょう
一般参賀のときなのでしょうか…ある年雨が降っていたのですが、天皇陛下がねぎらいのお言葉を発せられた瞬間、雨がピタッとやんだことがあって、神通力のすごさにおののいたのだそうです
それから、何年も前に、竹田さんが京都の伏見稲荷大社に行ったとき、山の頂上のお社を目指して山を登っていたら途中でものすごい雨が降ってきて、でも社の上の部分だけ雲が晴れていて、大雨の中すーっと一筋の光が射していたのだそうです
おそるおそる社の近くに行ったら、半径30メートルくらいの部分だけ雨が振っていなかったことがあったらしいです
参拝が終わって下山する途中で空はすっかり晴れ上がり、龍のような雲が立ち上ったことがあったのだとか…
他には、竹田さんが「語られなかった皇族たちの真実」という本の出版を準備していた頃、この本を出すにあたり親族や財界や政界からも圧力がかかり出版を反対され、やめようかと思っていた時期があったそうなのですが、平成17年の秋の早朝、完成原稿を持参して神武天皇御陵の鳥居の前にその原稿を起き、30分くらい祝詞を相乗して出版の報告をしたのだそうです
そのときにひれ伏して、日本の皇統は断絶するかもしれない、本当に申し訳ないと申し上げ、この本を出してよいものか悩んでいるけれど自分の力だけでは変えられないのでどうかお力をお貸しいただきたいということを念じたら、「神風を吹かせたまえ」と念じたとたんにザワザワバタバタという音が聞こえ、日の上ったばかりの雲一つない澄んだ空が暗くなるほどに一面を覆うほどの鳥が一斉に飛び立ったのだそうです
畏れおののいてひたすらひれ伏し、これはもうたいへんな天罰が下るのかなあと思い、出版してはいけないのかと思ったのですが、その鳥はカラスで、神武天皇を大和の地に導いたのはヤタノカラスで、その場所は神武天皇御陵だったので、これは神勅だと思ったのだそうです
その後反対していた大御所の先生のところに行き、本を出版することを決めたことや神勅のことを話したら、猛反対していたのが急に応援してくれるようになり、皇族方にも応援してくれる人が現れ、ようやく出版が実現したとのことでした
たしかに、今書いたようなことが実際に起こったのなら、皇室に思いを寄せる人には「カミガカリ」だと感じるかと思います
私だったら…そういうところに行くこともあまりないでしょうし、ひれ伏して祝詞を捧げることもないでしょうから、そもそもそういう経験をすることもなさそうですけど、雨が降っているのに一ヶ所だけ振っていないところがあったら「ここだけ雨雲がなかったんだなあ」とか「ちょうど雨と晴れの境目なんだなあ」と思ってしまいそうです
カラスがたくさん飛び立つのだって、「神武天皇を大和の地に導いたのはヤタノカラス」ということを知らなければ、カラスだらけで気持ち悪いなあと思うだけで終わってしまうでしょう
それにそもそもこの竹田さんが見た大量のカラスはヤタノカラスという種類なのかよ?と思ってしまいます
んで、ヤタノカラスとはなんぞやと調べてみたら、これは日本神話で、神武東征の際、タカミムスビによって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされる3本足のカラスなのだとありました
「神武東征」とは神武天皇が日向を発って大和を征服して橿原宮で即位するまでの日本神話の説話のことで、「タカミムスビ」は日本の神のひとつらしいです
「タカミムスビ」って何だかお相撲さんのしこ名みたいですね
竹田さんが見たカラスはカラスでも「ヤタノカラス」じゃなかっただろうし、でもスズメやハトなんかの大群じゃなくカラスだったからいいのでしょうか…カラスって現代だとどちらかといえば疎まれる存在ですけどね
まあそれはどうでもいいとして、そういう知識がなければ「カミガカリ的な現象だ」とか「神勅だ」とか思いつくこともないでしょうから、私だったら「うへーカラスいっぱいで気持ち悪いし怖いー」で終わってしまいそうです
私はこういうできごとというのは、そう感じたり思うことを否定するつもりはないのですが、やはり信じる人・そう感じる人によるんじゃないかと思いますね
その人にとってそうならばそうなのだと思うし、何も感じない人にはなんでもないことなのだと思います
そう感じることでその人が何か決断をしたり、どうしたらいいのかが見えてくるのなら、それはそれでかまわないと思います
人間は何か自分の力や考えではない指針を必要とするときはたくさんあると思います
私だって迷信を信じてはいないにしても、何か嫌なことがあったとき、それによって結果的に自分にとって得るものがあれば、その嫌なことも何か意味があったのだろうと思うことはありますから、結果論と言われてしまえばそれまでですが、さまざまなことに対して何らかの理由付けを思いついたり考えたりはしているんですよね
竹田さんの場合、このできごとによって出版に踏み切れたわけですから、竹田さんにとっては大きなことだったんだと思います

それで…この本を出版した後、小泉首相が進めていた皇室典範改正法案への流れが一変したのは「神風」が吹いたおかげだったと竹田さんは述べていました
あのタイミングで紀子さまが懐妊したのも悠仁さまが生まれたのも神風だと…
世間では紀子さまの懐妊の知らせで流れが変わったと思われているそうですが、竹田さんがいうには寛仁さまの発言が聞いたらしいです
寛仁さまの発言というのは、女系天皇には反対だという内容だったと思います
寛仁さまの発言の前までは国民世論の8-9割が女帝容認だったそうなのですが、寛仁さまの意見があり、竹田さんの本も出版され、それから3ヶ月くらいで国を二分するところまで議論が深まり、法改正に賛成する国民が5-6割くらいまでに落ち込み、その状況で紀子さまの懐妊がわかり法改正の動きがピタッと止まったのだとか…
紀子さまの懐妊だけでは改正法案は止まらなかったと竹田さんは述べています
懐妊報道が1ヶ月後だったらきっと止まらなかっただろうし、逆にちょっと前でも国民の認識が深まる前だったので、簡単に法改正されてしまったはずなので、正に神風が吹いたとしか思えないと竹田さんは語っていました
私としては、「えーそうだったかなあ」という思いがあります
寛仁さまの発言は覚えていますけど、そのことで変わったというかんじはしませんでした
たしかに、皇族で皇室典範改正に反対する意見を述べる人がいるということは大きかったけど、やっぱりなんだかんだ言っても紀子さまの妊娠に尽きると思います
あのときはまだまだ皇室のことには関心がなかったのだけど、大きく取り上げられた話題だったし、私は2人目のことを考えはじめていた時期だったし、私もそれなりに気にしてはいました
私はもう男性優位で進む社会では時代遅れなんだし、天皇の血を継いでいるんなら女性だって天皇になったっていいんじゃないの?という考えで、今もそれは変わっていないけど、でも単純にそれだけの理由で済むことでもなさそうだなあとは思いますね
血筋を「男系」と「女系」とに分けて考えている限り、この問題は解決しないと思います
とことん男系男子での継続を貫いて行き詰まってしまうか、女系男子にも継承を認めて男系男子での継承を断念するか、どっちかでしょう
どうしても男系男子で行きたいのなら、側室をたくさん設けて男系男子を確保するしか方法はないのではないかと思います
でも、そこまでするのは私はひどく時代錯誤だと思うし、女性ってなんなの?生む機械?生む道具?と言われそうです
このことを語り出すと話が反れてしまうので、これくらいでやめておきます

カミガカリと言えば、私は昔吹いた「神風」を思い浮かべるのですが、「元寇」のときに神風が吹いて元が日本に責めて来られなかったとか、第二次世界大戦のときにも神風が吹くのを国民が信じていたことを思い出します
日本は歴史上何度も外国から併合される可能性があったけど、「神風」と呼ばれる不思議な力が働いてそれを免れてきた、それは正に天皇がお祈りになっているからではないかと竹田さんは語っています
終戦後国が守られたのも神風のおかげだと…
なるほどと思いつつも、心からそう思えないですね、私は…
ほんとに神風というものがあって神風が吹いたのなら、日本は戦争に負けることはなかったんじゃないでしょうか
原爆だって落とされることはなかったんじゃないでしょうか
何万という人が戦争で死んで犠牲になることはなかったんじゃないかと私は思います
第二次世界大戦のあいだ、人々が待ち望んでいた神風は結局は吹かなかったわけですよね
それで日本は敗戦しました
終戦後国が守られたのが神風のおかげだと言うのは、まるでお払いにいった帰りに交通事故に遭って「お祓いをしてきたからこの程度の事故で済んだんだ」と思うようなものです
日本という国は今もあって、今にほんの領土は日本のものですが、あの戦争に負けたことによって世界における日本の立場はかなり厳しいものになったと私は思います
アメリカには強くものを言うことができないし、基地は確保してあげなくちゃ行けないし、他の国だって過去にひどい侵略を他国にしておきながら、日本ばかりが中国や韓国に対していつまでもいつまでも謝罪を求められたりします
拉致問題だって、どう考えたって北朝鮮が悪いのに、中国や韓国はあんまり協力的じゃないし、日本ひとりだけでは全然進まなくて、ひとりの日本人としてとてもやきもきします
日本が世界の中でリーダーシップを取れないのは、日本人のまわりに合わせようとする性格も原因ですけど、戦争で完敗したということが大きいと思いますね
ただ、私は天皇でも誰でも、「祈る」ということは素敵なことだと思います
その「祈る」ことによって何かがどうなるってことはないにしても、自分のために祈ってくれている人がいるということが、大きな力になると思うからです
皇室に思いを寄せる人たちにとって、天皇が私たち日本人のことを祈ってくれていると思うことはとてもうれしいことでしょう
私だって自分たちの幸せを祈ってくれる人がいることをうれしく思います
私の物事の捉え方には、どちらかというと仏教的な考え方が基盤にあると思うのですが、キリスト教のような、神が絶対的な力を持っていて、天罰や試練を与えたり、助けたり…というのではなく、日本では神や何か目には見えないけど大きな神のような存在は絶対的な力を持っているわけではなく、人々の幸せを願い、人々の幸せを喜び、不幸が起こったときには共に悲しみ、共感し合い、励ましたりなぐさめたり、これ以上不幸が起こらないように願ったり、そういうものなのではないかなと思います
そういう意味では、天皇が国民のしあわせを願って祭祀を行なったりすることは、神風を吹かせるような直接的なものはないにしても、皇室に思いを寄せる人たちにとってはとても大きな支えとなるでしょうし、そういう人たちにとっては天皇は神のような存在になるのだと思います
皇室とは何か…皇后さまは「皇室は祈りでありたい」と述べたことがありましたよね
私は、皇室とは、日本をひとつの家族と考えたとき、国民は子どもで皇室は親のような存在ではないかと思います
私が私の子どものしあわせを願うように、皇室の人たちは国民のしあわせを願い、何か不幸が起こったときにはそれを自分のことのように悲しみ、しあわせなことがあったときには、自分のことのように喜ぶ…そういうかんじだと思います
「神風」の存在の有無は私にはわかりませんが、私が思う日本を守っているもの…つまり神のような存在が神風を起こしたりはしない気がします
日本を守るものは同時に世界をも守るべきものです
日本を守ることによって他に不幸が出るのでは困ります
それに、気まぐれに願いを聞いてくれたり聞いてくれなかったりでは正義にはならないのではないでしょうか
世界にはさまざまな不幸が存在しています
食料不足に苦しんでいる人、疫病に苦しんでいる人、領土問題でもめている人、正義を語った戦争によって家族を失った人などから、交通事故や不治の病など身近な問題もあります
それらの不幸を被っている人がなぜそのような目に遭うのか…キリスト教では「試練」だと言ったりもしますが、私はそれは誰の仕業でもないものだと思っています
もし私が絶対の力を持つ神様なら、世界中に蔓延するさまざまな不幸をひとつずつ解決していこうとすると思います
日本のことで言えば、北朝鮮に拉致された人たちを日本に帰してあげたいですし、食料不足な人たち・病気に苦しむ人たちには食料と医療援助をします
でも、そういうことはちっとも起こりません
もし絶対の力を持つ神様がいるのに助けてあげないのだとしたら、ずいぶん冷たい神様だと思います
そんな「試練」を与えて一体何になるのか、私にはさっぱりわかりません
中には「試練」も必要なときもありますが、「試練」だという言葉では片付けられないさまざまな問題がありますよね
私は、神や、神様のような存在を信じる気持ちを否定するつもりはありませんが、絶対の力を持つような存在なんてないのだと思っています
それを踏まえた上で…自分には何も出来ないけど、いい方向に解決しますように…と「祈る」ということはとても素敵なことだと思います
絶対の力はないけれど、国民のことを一心に思って「祈る」のが皇室の姿なのだとしたら、そこまで皇室に思い入れのない私でも少しうれしくなります
誰かが自分のことを祈ってくれているのだと知ったらうれしいですよね
そして、自分も他の誰かの幸せを祈りたくなるように思います
そんなふうにみんながみんなお互いを祈り合っていけば、世界も日本も変わっていくのではないかなあと思います
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皇室について。 | コメント(6) | トラックバック(0)
コメント
祈りの威力
一つの事象をどうとらえるか竹田氏の例を興味深く読みました。

後半の記事、朝から心地よい風を感じました。

Thanks for you!
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こんばんは
紀子さまのご懐妊も大きかったですけど寛仁さまのご発言も衝撃的でした。

皇族の方が皇位継承に対して意見を仰るなんて考えもしなかったからです。

たしか、側室をもらうか、旧皇族から養子をもらうかどちらかを希望すると言い切っていませんでしたか?


雅子さまのお気持ちを思うと、どんなに傷ついたろうと胸が痛みます。


はっきり言って、だったらご自分も皇族なのだし皇族継承権もあるのですから、側室をもらうか養子をもらえばいいじゃない?と思いました。

憲仁さまが生存していらしたら、と常々感じてしまいます。


きっと、東宮家を支えていたのではないでしょうか?

雅子さまにとって憲仁さまがお亡くなりになられた事は大きかったと思います。

ひなさんへ
コメントありがとうございます
すみません、寛仁さまの発言を私は詳しくは知りませんでした
ただ「女系天皇や女性天皇に反対」という立場の発言だったくらいの認識でした
側室をもらうか、旧皇族から養子をもらうかどちらかを希望すると述べていたのを知りませんでした
ネットで寛仁さまの発言について調べてみたのですが、寛仁さまの述べたことそのままが載っているものが見つからず、その発言を取り上げたブログ記事を少し読んではみました
寛仁さまの発言そのものを読んでみたいです

寛仁さまが「側室をもらうか、旧皇族から養子をもらうかどちらか」というのはわかる気がします
私はもし男系男子での皇位継承を目指すのなら、こうでもしなければ不可能だからだと思っています
だから、側室をもらうか、旧皇族から養子をもらうかしなければならない日がいつかはやってくると思うからです
ただ、そのようなことをするのが時代に則しているのか…私はかなり時代に逆行したことになると思います
皇位継承については「男女平等論だけでは語れないことである」という意見はよく耳にしますし、私もいろいろと調べていくうちにたしかにそのとおりだと思うようになりました
ただ、男系男子での継承のために側室をおいたり、旧皇族から養子をもらったり…ということまでするのはどうなのだろう…という思いがあります
それに、寛仁さまにも皇位継承権があるのに、どこか他人事と言ったかんじの発言にも思えますよね
ひなさんがおっしゃるようにご自身は何らかの行動に出ることはないのか…と思ってしまいます

憲仁さまが亡くなったのは皇太子夫妻にとってはたいへんなショックであっただろうと私も思います
結婚前から支えてくれていたと聞いたことがあるし、閉鎖的な皇室の中で心を許して話せる人がいるのは大きかったと思いますから…
とは言っても、私は憲仁さまがどこまで皇太子夫妻と親密だったのかは週刊誌などの記事からのイメージ程度にしかすぎないので、実際のところはわかりませんが…

いずれにしても、この皇位継承に関わる皇室典範改正への一連の動きは、雅子さまを大きく傷つけたと思います
雅子さまひとりの問題ではないにしても、雅子さまが世継ぎを授からないが故に起因しているわけですから、どんな気持ちでいたのかを考えると、かわいそうでたまりません
祈りについて
管理人さんが仰る通り祈りってとても大切で有り難い事だと感じています。
以前、私の自宅には神棚があると言いましたよね。
一升瓶を置いても、びくともしない立派な?神棚です。

私は、自分の家はこのようにしたいと思い入れが強くて、この神棚が無ければ……と思ったものです。
夫は神棚に手を合わせて祈るのは、隣の方や周りの方の幸せを祈るんだと常々言っていました。

周りが幸せなら自分もしあわせだからという意味でした。

それって結局は、自分の幸せを願っているだけじゃないの?と思ったものです。

結婚当初から、神棚はありましたが(結婚前から主人は祀っていました)子どもは自閉症として生まれました。

その事を問うと管理人さんが言っているように「毎朝毎晩手を合わせていたから、この程度で済んだんだ」と言っていました。

毎朝毎晩、手を合わせていても主人は若くして亡くなりましたし、どうなの?という疑問も確かにあります。


お墓参りも不思議でした。
もう、臨月でお腹が苦しい時に高速に乗り福井の実家まで行きました。

着いてまもなく親族総出で、お墓参りをしました。

般若心経を唱えて、「どうか健やかな男の子を」と義母が何度も何度も呟いていました。

管理人さんが、仮に亡くなられて…ごめんなさい…子孫が突然お墓に来て、どうか健やかな男の子を授けてくださいと言われたらどうおもいますか?

そんな事、私に言われても…と思うでしょう。

それまで、お墓参りって先祖供養のみだと思っていたので戸惑いました。

本当に、あのハードスケジュールな旅行?はきつかったです。
ひなさんへ
コメントありがとうございます
そうですね…ひなさんの気持ちはわかる気がします
ご主人があんなに熱心に毎朝毎晩手を合わせていても、お子さんが自閉症になったり、ご主人が若くして亡くなったりしたら、「なぜ」と思うと思います
神様がいるのなら、絶対の力を持っているのなら、どうしてこのような仕打ちをするのか…これが試練だというのなら、乗り越えられる試練だから与えられたのだというのなら、なぜ私たち家族が選ばれたのか…そう思うと思います
一般的に、いわゆる迷信的なことを守らずにいて、それで何か不幸が起こったときに、「○○しなかったからだ」と不幸が起こったわけを理由づけたりしますよね
たとえば、仏滅に結婚式を挙げた人が新婚旅行に行って飛行機事故に遭ったりしたら、「仏滅なんかに結婚式を挙げるから」と言われます
でも、大安や友引に結婚式を挙げた人が離婚をしても、「大安や友引に結婚式を挙げたのに…」とは言われません
それどころか「大安や友引に結婚式を挙げたからこの程度で済んだ」と言われそうですよね
私は子どもの頃からいわゆる迷信的なことには縁がなく、何も気にせずに生きてきました
結婚後も同じです
人は何か大切なことを決めるときに、自分の判断だけで決めるのが不安なんだと思うんですよね
何か指針がほしくなる…こうしておけば間違いないというものを示してほしいのだと思います
それだけで安心するのではないでしょうか

大昔、自然のさまざまな現象が科学的にわからなかった頃、人々は長雨が続いたり、飢饉になったりすると何らかの理由がほしかったのではないかと私は思います
それで、「○○をしていないからだ」とか「○○のたたりだ」とか言う人がいれば、具体的な行動に出られるわけで、そうやって不安を取り除いていたのではないでしょうか
今は科学的にいろいろなことがわかってきましたが、それでも化学では証明できないこともたくさんあります
そんなときに人は迷うのだと思います
それで姓名判断をしてみたり、日の善し悪しを気にしてみたり、占いに行ってみたりする…それだけだと思います

私はそういう気持ちを否定するつもりはありません
宗教もそうですけど、それを信じることによって安心したり、進むべき方向を見出せたり、結果世のため人のためになるのなら、そういった迷信を指針にすることも悪いことではないと思います
でも、すべてのことがこれで片付くわけではありません
何かどうしようもない不幸が起こったとき、それに納得の行く理由付けなどできないと思います
自分に対しての試練だとしても、自閉症になった子どもには何の試練が与えられるべきなのか…、そんな状況でご主人を若く亡くすという試練をさらに与える理由はなんなのか…私も悩むと思います
世の中、悪いことをしていてものほほんと暮らしている人はたくさんいます
なぜその人たちは罰せられないのか、試練が与えられないのか…絶対の力を持つ神様は一体何をしているのか…本当に疑問です
それでも、絶対の神の存在を信じることができるのはなぜなのか…私は信仰心を強く持っている人に尋ねてみたいですね

日本の場合、神仏混合の影響から、神様と仏様、先祖がごっちゃになっているような気がします
記事でも述べたのですが、私のイメージだと、先祖は死んで仏様になり、仏様は人の願いを叶えるのではなく共感して「祈る」ような存在です
ですから、お墓参りでお願いごとをするのは「こうなるように見守っていてほしい、祈っていてほしい」という思いなのではないかと思います
私が死んで、子孫がお墓参りに来てお願いごとをしたら、そのお願いごとを叶える力はないけど、自分の子孫の幸せを願って「祈る」ことはできると思います
でも、これは死んでからでなくてもできることですよね
生きている今でも私は子どもたちの幸せを祈っているし、世界中で苦しんでいる人が少しでも救われたらいいと思っています
具体的に行動するに至らないまでも、折りに触れて…ニュースで耳にしたときなどに、「いい方向に向かえばいいなあ」と思ったりします

大きなお腹を抱えての遠出、たいへんでしたね
臨月に入ればいつ生まれてもおかしくないわけですから、身重の身としては遠出を控えたいと思うのは当然だと思います
ご主人のご実家はとても熱心にお墓参りや先祖供養、神様を祀ることをしている家系なのでしょうね
でも…人のご主人の実家のことをとやかく言えた身分でもないのですが、ご主人の実家としてはひなさんに健やかな男の子が生まれるようにとお墓参りをしたわけで、ひなさんたちの幸せを祈ってのことだったのでしょうけど、そのことに気を取られてお腹の大きなひなさんのことを思いやれず、たいへんな思いをさせてしまっては元も子もないような気がします
どんな迷信も信仰も、それを信じること・行動することで人々が安心したり幸せになるのなら私はかまわないと思いますが、そのためにまわりが見えなくなってまわりの人に迷惑をかけたり、返って迷惑になるのだとしたら、私は賛成できそうにありません

長い長いコメントになってしまいました
失礼しました

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