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この情報源は文藝春秋2004年7月号に友納尚子さんが書いた記事なのだそうです
その記事を読んだわけではないのでイマイチよくわからないのですが、友納さんはどこでこのような発言を聞いたのでしょうか
友納さんが直接雅子さまから聞いたのか、それともまた聞きしただけなのか…私は後者のような気がします
私としては直接聞いたにしろそうでないにしろ、このようなプライベートなことを雑誌の記事に書くのはどうなのかなと思います
友納尚子さんはフリージャーナリストで、雅子さまについての本や記事を多く書いている人で、雅子さまを擁護するようなものが多いように思います
私も友納さんの本や記事をちょろっと読んだことがあるのですが、書かれている内容は雅子さま寄りのことが多いにも関わらず、なんとなくほっとできないような疑心が湧いてしまうようなそんな気持ちになりました
というのも、友納さんの書いていることはまるで自分が目の当たりにしたかのような、自分が直接本人から聞いたかのような書き方が多いからです
フリージャーナリストがそこまで知ることができるとは思えず、また聞きしたことがほとんどだとは思うのですが、それが事実だと断定して書いている部分が多いように感じました
この件に関してもどういった状況で情報を得たのか、とても気になります
実際に記事を読んでみたいですが、ネットで検索しても見当たりませんでした
しかし、これが事実だったとして述べてみたいと思います
この発言からわかることは、雅子さまが不妊に関する検査を受けていたということ、つまり不妊に悩んでいたことだということです
そしてその検査は苦しいものだったということ、子どもが産める体なのかどうか悩んでいたということ、そしてもしかしたら両陛下からも心配されていたかもしれないということです
この件についていたタイトルは

「検査の苦しさよりも私が子供を生める身体だと両陛下にご理解をいただいてほっと致しました」夫皇太子に男性不妊責任擦り付け発言事件

なのですが、雅子さまが子どもが産める体であるということイコール皇太子さまが男性不妊であるということではないと思います
妊娠の仕組みについては以前にも述べましたが、とても複雑です
特に女性側はより複雑です
排卵があり、それが卵管に出てきて、精子と受精し、それが子宮に移動して着床し、妊娠に至るわけですが、それぞれの過程においてちょっとした問題があれば当然妊娠には至りません
ちょうどいい大きさの卵子が育たなかったり、排卵がなされなかったり、卵管が細かったり詰まっていたりして精子と巡り会えなかったり、受精しても子宮に着床しなかったり…さまざまな問題が考えられます
私は雅子さまがどのような不妊の原因を抱えていたのかはわかりませんが、治療をすれば子どもが望める体であったのだと思いますし、検査によってそのことがわかったのではないかと思います
そういう意味で雅子さまは「今の状態では妊娠は難しいかもしれないけど、治療できる状態であり、治療すれば子どもが産める体である」と言ったのであり、自分に不妊の原因がないと言ったわけではないと思います
この言葉からもうひとつ感じたのはこのことを「両陛下に理解してもらった」というところの雅子さまの苦悩の深さですね
両陛下がどのように雅子さまの体のことを思っていたのかわかりませんが、なかなか子宝に恵まれないことの原因は何なのかと心配してはいたのだと思います
子どもがなかなかできない…となると、人はまず女性側に原因があるのではないかと考えがちですよね
宮内庁も側近たちもみんながこのことを気にかけていたのではないでしょうか
そういう状況の中で雅子さまはどのような気持ちで過ごしたのか…想像するだけで私はかわいそうになってしまいます
まわりが「雅子さまは子どもが産めない体なのではないか」と思っていたのかも知れません
そんなときに苦しい検査を受け、治療を受ければ子どもが産める体だと医師から言われ、それが両陛下にも伝えられ、雅子さまはほっとしたのだと思うと、不妊で悩んでいる中で一筋の希望が見えたような、そんな思いではなかったのかなと思います
自分が子どもが産める体であるとわかった喜びもさながら、そのことを両陛下にも理解してもらえたことは何よりも安堵となったのだと思います
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皇室について。 | コメント(2) | トラックバック(0)
コメント
哀しい響き
この発言のことは今日、初めて知りました。

「子どもが生める体」
なんとも言えない哀しい響きを感じます。

「子どもを産む」
「子どもを産まない」などとは違う自分の意思を含まない「子どもが生める体」という表現に哀しさを感じるのは私だけでしょうか。
 
妊娠できる身体か否か。
女性としてはつらい判定に思われます。
ゆゆさんへ
コメントありがとうございます
そうですね…不妊に悩んだことのある私としては、「子どもが生める体かどうか」を自分以外が口にするのはとても傷つくような気がします
ただ…不妊に悩んでいる中で「自分は子どもが生める体なのだ」とわかること・思えることはうれしいことなのだと思います
雅子さまも相当に悩んだのではないでしょうか
私は男の子を産まなければならないとか、跡継ぎを…とか、そういう責任はまったくなくて、単に自分が子どもがほしくて悩んだだけでも辛かったのに、雅子さまは自分が子どもを授かりたいという思いよりもとにかく子どもを産まなくてはならないという思いのほうが強かったのかもしれませんし、そうなると私の想像を絶する悩みだったのではないかと思います
そんな辛かった思いが、あの愛子さまが誕生したあとの会見の涙につながったのかなあと私は感じました

平安時代・江戸時代などの昔ならともかく、近代になってまで「生める」「生めない」が取り沙汰されるのはどうなのか…と考えてしまいます

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