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皇室の新年の動画や写真が毎年出されますが、2004年の新年の動画でなごやかな雰囲気がなかなか出なかったとのことですが、該当の動画を見てみました
http://www.nishinippon.co.jp/strm/news/040101koushitu/koushitu.asx

参考サイトでは「氷の団欒」と名付けられていましたが、特に和やかな雰囲気が出ていないとも思えないし、誰が見ても非常に和やかで微笑ましい雰囲気満載というほどでもないし、毎年配信されるいつもの天皇一家の新年の映像というのが私の印象です

眞子さまと佳子さまが愛子さまの相手をしているのに愛子さまが笑わず、とのことですが、愛子さまは撮影している側が気になっているのではないかな、と感じました
撮影している側には側近や女官など多くの人が見守っているでしょうし、見慣れない機材(カメラなど)もあるのだと思います
そういう見慣れないものが気になってなかなか遊びに集中できなかった、その結果なかなか笑顔にならなかったのではないかと思います
まだ小さな子供ですから、大人の思うように笑ったりするわけではありません
他の大人たちはみな微笑していますし、これはいつもと変わらないと思います
「眞子さまと佳子さまが愛子さまの相手をさせられてる」とか「眞子さまや佳子さまの当惑や間の持たない雰囲気が痛ましい」だとか「音の出るカラフルな積み木で何とか愛子さまを笑わそうとするがとうとう笑わなかった」「子どもの表情のアップが少ない」などなどといろいろ書かれていたのですが、そうかなあと私は感じるのですけどね…

この「氷の団欒」と称されるのは2004年だけでなく、2003年・2005年・2006年の新年の動画についても該当するらしく、2005年の新年の動画には「粉雪の団欒」なんて名前が付けられ、「氷からさらにパワーアップ」なんだそうですが、粉雪よりも氷の方が寒々しいような気がしますけど…
とにかくなんだかよくわかりません

参考サイトでも指摘されていた件で、私もちょっと…と思ったのは、黒い革靴を履いたまま膝をついたり、正座をしたり…という光景です
たしかになんだ変ですよね
かといって靴を脱ぐのも変だし、そもそも室内で土足履きをしている上でおもちゃを広げて子どもが遊んだり、そこに正座をしたり…というのがどうかと思いました
2006年からはテーブルが置かれ、その上で遊ぶようになったようですが、これならだいぶいいですよね
それでも子供たちは立ち膝していることになるわけだし、子供用のいすを用意してもいいんじゃないかなあと個人的には思います
この件において、革靴を履いたまま座る雅子さまや皇太子さまを異様だと述べ、同じように革靴を履いたまま座っている眞子さま・佳子さま・紀子さまは「座らされている」とするのはなんだかなあと思います

皇室の人たちは、国民に対していつも笑顔を見せていなくてはならないという立場なので、いつもにこにこしていますが、いつもいつもにこにこしていることが私にはときどき不自然に感じられたりもします
でも、同時に、いつもにこにこしていなくてはならなくてたいへんだなあとも思います
時にはにこにこする気分じゃないときもあるだろうし、そういうときにはやっぱり不自然な笑顔になってしまうだろうし、そういう笑顔がたまに気の毒に思えたりもします
そこらへんが皇族であるたいへんさ、つらさのひとつなんだろうな、と私は感じます
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自殺未遂?のこと

2012/03/04 Sun 06:00

参考サイトには「リスカ疑惑事件 その日は典侍に至るまで全員シャットアウトで自宅待機 疑惑?」とだけ書かれており、詳細はわかりません
「リスカとは…」と思い、検索してみたら、リストカットのことを略してリスカというらしく、雅子さまがリストカットをして自殺未遂をしたということなのかと理解しました
おそらく女性週刊誌ネタではないかと思いますが、情報源も詳細もわからないので、たしかではありません

もしこれが事実だったとしたら…雅子さまはリストカットするまで精神的に追いつめられてしまっていた、ということなのではないでしょうか
それに、典侍に至まで全員シャットアウトで自宅待機とのことですが、もし本当に雅子さまが自殺を図ったのなら一大事ですから、それくらいのことが行なわれても不思議ではないのではないかと私は思います
けれど、きちんとした情報もないのに、まるで雅子さまがリストカットしたのを目前にしたかのように書き立てるのはどうなんでしょうか
自殺未遂など、かなり衝撃的なことですし、これが精神的に追いつめられてしまったが故の症状のひとつであるのだとしたら、このようなことが興味深げに週刊誌などに書かれてしまうことなどあってはならないと思います
私は自殺を推進する気持ちなどありませんが、自殺をした人そのものを責めるつもりはありません
もし自分が次から次へと降りかかる不幸に直面していたら…自殺を考えることもあるかもしれないし、「自殺するなんて考えられない」なんてとても言えないです
精神的な病いを患った人が自殺未遂をしたり、自殺してしまったりするのを耳にすると、病いの症状として気持ちが落ち込んだり、悲観的になったりして、健全な精神状態なら気分転換をして難なく乗り越えられて行けるような状態でも、その人には絶望的に感じられ、結果自殺という行為に走ってしまうわけで、適切な治療やカウンセリング・まわりの支援などがあれば避けられたのではないか…と思えてきます

もし雅子さまがこのような状態に本当に陥っていたのなら、側近たちは雅子さまの状態にもっと早く気づけなかったのかしら…と疑問に思うし、それともこういうことってなかなかまわりも気づきにくいものなのかもしれない…とも考えます
同時にこういうプライベートなことが皇室内の人間からマスコミに知らされてしまうという状況は問題だと思うし、一体誰が情報をリークするのかと疑問に思います
以前雅子さまが側近に心を開かない云々…と書かれた記事を目にしましたが、自分のまわりの側近しか知り得ない事実がマスコミに知られているのなら、雅子さまが側近に心を開けないのも当然ではないでしょうか
また、自殺未遂をしたことがまるで異常かのように書かれていますが、なぜそのようなことになってしまったのかには目を向けないのでしょうか
雅子さまに対する数々の批判を見ていて感じるのは、雅子さまの行為そのものだけに焦点を当てて批判しており、そのような行為に至った過程や理由について追求しようという姿勢が見られないことです
もう少し思いやりを持ってものごとを見ることができないのものか…と感じます
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少し日が経ってしまいましたが、2/23に皇太子さまの誕生日会見があったので、そのことについて書こうと思います
該当ページはこちらです

天皇陛下の誕生日会見のときにも感じたのですが、昨年というと東日本大震災の印象が強く、災害というとこのことばかりに集中してしまいがちになってしまうときに、東日本大震災だけでなく、台風12号による被害について語っているところなど、忘れられてしまわれがちな災害にも目を向けていることに好印象を覚えました

天皇の定年制や女性宮家の検討についての意見を求められたのに対し、皇太子さまが自身の考えを述べなかったことについて、私は皇太子さまが自分の発言によってそれらの事項に影響を与えては行けないという配慮をしていると感じ、自身の立場をよく理解しているように感じました
私は皇室の人たちの会見内容を注意深く見るようになったのはごく最近ですが、秋篠宮さまなど特に自身の考え方を述べる場面が多く見られるようになったように感じます
それがいいのか悪いのかはわかりませんが、私としては当の本人である皇族の意見ももちろん伺うべきとは思うものの、当の本人が意見を述べてしまえば、その方向に進むしかなくなる可能性は否定できないですし、マスメディアを通して意見を述べるのはどうなのだろう…という思いがありました
だからなおさら、皇太子さまが自身の意見を控えたことに好印象を覚えました

雅子さまのことについては、ひきつづきご理解とご配慮をお願いするという発言があり、私はそれをそのまま受け止めましたが、批判的な見方をしている人たちからは「いつまで待たせるのだ」という意見がよりいっそう強くなるのではないかと思いました
皇太子さまは天皇陛下が一昨年の会見で「皇太子妃の公務のことがよく言われますが,何よりも健康の回復に心掛けるよう願っています。」という言葉をいただいていることを述べましたが、このように天皇陛下の言葉を引用するということは、皇太子さまだけが雅子さまを理解してほしいとお願いするだけではなかなか難しい状況にあるということなのかもしれないという思いがします
天皇陛下がこの言葉どおり雅子さまが健康の回復に心がけることが大切だと思っているのなら、皇太子さまも雅子さまも心強いことだと思います
雅子さまの誕生日に際しての東宮職医師団の見解についてについての受け止め方は、私も皇太子さまと同様、それをそのまま受け止めたのですが、記者からの質問に「国民の間からもいろいろな意見が出た」という言葉があり、言ってみればこれは批判的な意見があったということを述べているのですが、このような言葉が記者から直接皇太子さまに向けられるということは今まではなかったように感じました
実際のところはどうなのかはわかりませんが、私は医師という専門職の人が発表したことですから、「そうなのだなあ」とそのまま受け止めたのですが、そう受け止めない人たちも多かったのでしょう
ブログを通して、さまざまな批判的な方達からコメントをいただくのですが、そういう人たちがそのまま受け止めるということはないのでしょうし、「おかしい」「事実ではない」と思う人もいるのだと思います
ひどい場合だと、雅子さまが考えた文章だとか、雅子さまが書かせたとか、想像力の逞しさに驚かされます
本来なら雅子さまに対する批判にもの申すのは医師団ではなく、東宮大夫や宮内庁などの役割であると思いますし、これが東宮大夫や宮内庁からも雅子さまの批判に対してもの申した上で医師団も意見を述べるのなら筋が通っているように思います
しかしながら少なくとも宮内庁などから十分な雅子さまを擁護する意見が聞かれないように感じますし、医師団だけがこのような意見を述べることに多少の違和感を私も感じます

愛子さまについては、不登校問題が解決しつつあることを感じ、このことが愛子さまにとっても、またそれを支えて来た雅子さまにとってもよい効果があったのではないかと感じました
愛子さまがこのままふだんどおりの学校生活が送れるようになってくれればと思いますし、このことで雅子さまも喜びと自信を感じてくれたらよいと思います
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2004年7月2日に行なわれた宮内庁定例会見において、雅子さまが愛子さまを連れて別荘地内をドライブしたりしているが、体調に波があるため、医師の判断もあって4月の静養を決めたと発表があったらしいのですが、宮内庁ホームページなどでは確認できませんでした
この件に対し、参考サイトには、「皇位を継承する可能性が高いアイボを体調悪いのに車に乗せるのは危険では?精神科薬を飲んで治療しているような状態ならば車の運転が禁止されているはずなので、やっぱり精神病じゃなくてサボりなのね、という意見が多かったです。 」と書かれていました
詳しい内容がよくわからないので、私なりに感じたことを書きたいと思います

体調の悪い雅子さまが愛子さまを車に乗せるのは危険なのでは…との批判ですが、愛子さまとのドライブも治療の一環と言いますか、心の元気を取り戻すためなのではないかという気がします
だとすれば、当然医師による判断があっての話になると思いますし、少なくとも雅子さまと愛子さま二人だけでドライブに出かけたというより、おつきの人などの同行者がいると考えた方が自然なのではないかと感じました
また、一般道ではなく別荘地内とのことですし、そういう限られた場所において運転をするのであれば構わないようにも思います
公道を走るとなれば、私も危険なのではないかと思いますね…
でもそもそも皇族が一般道を運転すること自体がなかなか難しいように感じます
「精神科薬を飲んで治療している状態」だとのことですが、私にはこの時期雅子さまが具体的にどのような治療を受けていたかわかりませんし、医学的な見解から薬の運転への影響について詳しいわけではないですし、どのような状態でのドライブであったかは想像するしかありませんが、先に述べたように当然医師による判断なりがあってのことではないかと思います
この時期に雅子さまが精神的に参ってしまったが故に体調を崩しているということに担当医師が気づいていて当然だと私は思いますが、もしそうではなく、医師の目の届かない形での静養であったのならば、ずいぶんと危険であったと思いますし、雅子さまの病状が悪化してしまったのも早期治療・対策ができなかったことも原因のひとつだと言えるかもしれません

それにしても、参考サイトに「皇位を継承する可能性が高いアイボを体調悪いのに車に乗せるのは危険では?」と書かれていたことに驚きました
愛子さまのことをアイボなどと呼ぶことについては他の記事でも取り上げたので置いておくとして、愛子さまが皇位を継承する可能性が高いと思っている人がこのようなサイトに書き込みをしているのでしょうか
ある「事件」では雅子さまが愛子さまを天皇にさせたがっていると批判し、ある「事件」では雅子さまは愛子さまを将来は皇室を出て行く身だとして子育てしていると批判し、いつものことながらどっちに転んでも批判になるのだなあと感じます
ここでも同様に、雅子さまへの批判を高めるために「将来天皇になる可能性の高い愛子さま」として、そういう愛子さまを危険な目に遭わせたと強調したいだけなんじゃないかと思えてしまいます
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長い長いタイトルですが…、これについていた事件名は「那須静養中に急病に掛かったアイボの取材を急遽キャンセル事件 これ以後、アイボの公的露出が激減し、雅子自身も公の場に出なくなる(引きこもり開始)」というものです
情報源などが書かれていなかったので信憑性のほどはわかりませんが、いつものことながら事実であるとして述べていきたいと思います
雅子さまがいつごろから精神的に参ってしまいはじめたのか…私はその始まりは雅子さまが適応障がいと発表されるよりももっともっと前…結婚して1-2年の頃からであったのではないかと思います
それは、その根底にお世継ぎ問題があったからだと思うからです
ただ、その頃はまだ長期的な静養が必要と診断されるまでには至らず、まわりの支えやご本人の努力・気持ちで乗り切ってきたのだと思います
それでも、かなり無理をしていたのではないかと私は思います
私は2人目不妊を経験しましたが、雅子さまが心身の健康を崩したのは愛子さまが生まれてからのことで、思うに2人目を…というプレッシャーが大きなきっかけであったのではないでしょうか
愛子さまが生まれる前にももちろんお世継ぎのプレッシャーはあったでしょう
それだけでも辛かったに違いありません
それでも…プレッシャー以前に、雅子さまは一人の女性として子どもを授かりたいという気持ちがあった…それが大きな精神的な支えになっていたのではないかと思います
長い長い期間を経て、やっと誕生した愛子さまを雅子さまはどのような気持ちで見つめていたのか…長年の努力・思いがやっと叶えられ、解放された気持ちとこの上ない喜びを感じていたのではないでしょうか
愛子さま誕生のときの会見で雅子さまの声が震え、涙ぐんだ場面がありましたが、それからも雅子さまの愛子さま誕生への大きな思いが感じられます
しかしながら、お世継ぎ問題から解放されたわけではありませんでした
愛子さまは女の子…皇位を継承できる男子ではありません
皇室内でも国民のあいだにも「次は男の子を…!!」というプレッシャーが雅子さまに向けられます
やっと愛子さまを授かったのに、男の子でなければ意味がないとでも言われているかのような気持ちになったんじゃないでしょうか
一般的には、長いあいだ子どもを授からず、やっと授かることができた場合、2人目を望むとしたら「自然に任せる」という形をとることが多いように思います
私のまわりにもそういう人たちが何人かいます
「私にはこの子一人が授けられたんだと思って、この子を大切に育てようと思う」と言っていました
でも、雅子さまはそういうわけには行かなかった…皇太子妃の役割のひとつは皇位を継承する男子を生むことだからです
それまで静かにしていた人たちも愛子さまが誕生したあと、「一人生まれたのだから2人目も生めるはず」と思ってそういったことを口にしたかもしれません
どなたが忘れましたが、ある皇族が「一姫二太郎と申します」と発言した記憶がありますが、これも2人目は男の子を…という思いがあっての発言ですよね

雅子さまはどういう思いでいたのか…想像すると苦しくなります
愛子さま誕生までの長いあいだ、大きなプレッシャーに晒され、やっと抜け出せだと思ったけれど、さらに大きなプレッシャーがかかってきました
かけがえのない愛子さまも、男子でなければお世継ぎ問題からは抜け出せない…また子どもを授かったとしても、その子がまた女の子だったら…?
一体いつ抜け出すことができるのか…そんな思いだったのではないでしょうか

そんなふうに想像すると、私は雅子さまが愛子さま誕生後に精神的に参ってしまったのも納得が行くように感じます

少し話がずれました
タイトルの件について意見を述べたいと思います
急病になった愛子さまの取材をキャンセルしたとのことですが、それはごく当然のことではないでしょうか
どのような病気だったのかはわかりませんが、体調を崩した小さな女の子への取材をすることのほうがおかしな話です
このことが批判になるとは思えません
また、雅子さまの公的露出も減ったとのことですが、時期を同じくしてそうなるのにも、訳があるように感じています
あくまでも私の想像ですが、愛子さまが誕生し、その成長をうれしく思う一方で、2人目を・男の子をというプレッシャーを感じている雅子さまは時折落ち込んで元気がないこともあったのではないかと思います
そういう雅子さまを小さな愛子さまは敏感に感じとることもあったかもしれません
小さな子どもでも母親のそういったようすはわかるものです
私が少し気落ちしていると、子どもが妙に甘えてきたり、ちょっとぐずりがちになったり、そんなこともあります
雅子さまもそういうのを経験して、自分が気落ちすることで愛子さまを苦しめてしまっている・心配させてしまっているのではという気持ちになったのかもしれません
これは今後の雅子さまの愛子さまに対する接し方からも感じることができます
ご自身が適応障がいを患ってしまったことで、愛子さまに不安や心配を与えてしまったであろう責任を感じ、愛子さまに対する責任やすまないという思いが雅子さまにはあるのではないでしょうか

雅子さまが公の場に姿を見せなくなったことを「ひきこもり」と表現するのはどうかと思いますが、いわゆる「ひきこもり」をしている人たちもそれなりの理由があってひきこもってしまっているわけで、日本はまだまだ精神的な病いに対する理解が乏しいことを感じます
精神的な病いに限らず、ひきこもりなども、状況や要素が重なれば誰にでも起こりうることだと思いますし、決して他人事ではないと思います
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